このページでは、秀峰の若い時分の想い出写真を紹介します。どれも秀峰が写ってますが、今の姿とは大きく違って、きわめて細身なので、見落とさないで下さい。
1983年11月26日
(高校3年で18才)
高校のマラソン大会
多摩湖1周のゴールの様子
友人と2人で、ゴール手前で、隠し持っていた
衣装と小道具を使い、「泥棒と岡っ引き」に扮してゴールした。
秀峰は泥棒、十手&ちょうちんを持って追いかけている岡っ引きは、
親友の小野(現NHKディレクター)
まったく、大学受験を控えてるというのに、高校時代の想い出づくりにと、
仮装してしまったのです。他の生徒達には予告してあったので、
観衆の拍手喝采の中、見事にビリでゴールした。直後、先生に検挙され、
校長の訓示でも批判されたが、奇跡的に反省文2通だけで済んだ。
1984年5月19〜20日
(大学1年で18才)
大学の自主参加の行事
「本庄・早稲田100kmハイク」
左端が秀峰で、その右が吉田大作
この行事は、埼玉県本庄市から、新宿区西早稲田のキャンパス
まで約100キロを、丸2日かけて歩くというもの。
大学入学直後の5月、ワケ分からないまま、級友の吉田大作に
誘われ、間違って参加してしまった。右の2人の級友は途中で
ギブアップしたが、秀峰と大作は、22時間かけてなんとか
ゴールできた。この時に痛めた左ヒザは、今でも登山の時に
痛くなることがある。
1985年9月17日
(大学2年で19才)
ローマのシアターレストラン
「ファンタジエ・ディ・トラステベレ」
秀峰は完全に酔っぱらっています。
あの頃はまだ1ドル270円くらい。初めての海外旅行でヨーロッパを周遊したとは、今からは考えられないリッチな体験でした。
1986年5月24日
(大学3年の20才)
NTV系で放映された「日本ミニ独立国式オリンピック」
に参加した時のもの。
真中はケント・デリカット
左は親友の小野(現NHKディレクター)
この大会に、なぜか千葉県の「さわやか生き活き王国」の国民として参加、秀峰は入場行進の旗手をつとめた。2日にわたる大会で、いろんな芸能人と写真を撮るというミーハーぶり。ただ、TV放映では、秀峰達はほんの一瞬しか映りませんでした。
1986年8月16日
(大学3年の20才)
中国は新彊ウイグル自治区「トルファン」にて。
カメラを用意すると、ウイグル族の人たちが集まって来た。
手に持つのは、ハミ瓜というスイカのような果物。
シルクロードのオアシスの町を巡る目的で、友人2人とバックパッカーとなり、最奥地のウルムチまで到達した約1ヶ月の旅でした。当時の中国は入国も困難で、香港でビザを取得、広州から中国入りしたため、シルクロードの起点都市、陜西省の西安に着くまでで、えらい日数を要した。ヒッチハイクしたり、闇両替で逮捕されかけたりといった猿岩石的体験も、今となっては懐かしいばかりある。