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小笠原航海記

 

平成6年8月、僕はどこかの離島に行きたくてしょうがなかった。しかしお金もあまりない。そこでアルバイトでもやろうと、情報誌をめくっていた。すると、「小笠原へ行ける仕事!自由時間は遊び放題!」という記事が目についた。これなら一石二鳥じゃないか、とすぐに申し込んだ。それは小笠原諸島への唯一の交通手段、定期航路の「小笠原丸」の船内レストランのアルバイトだった。

 

仕事

秀峰の仕事は、小笠原丸内のレストラン「アラスカ」と、軽食スナックでのウエイターであった。バイト要員は7名、うち3名が厨房へ入り、秀峰ほか4名がホールを担当した。厨房には正社員のコックが8名、ホールには支配人、マネージャー、スナックのマスターという3人が正社員として働いている。

ウエイターと言っても、カフェテラス方式で注文を取りには行かず、客の食器を下げるだけで、 メインのこの仕事自体はキツくはなかった。しかし、団体客用に食器をセッティングして料理を運んだり、食事時間前後の掃除、テーブルの調味料補給、ゴミ袋捨てなど、ほとんど立ちっぱなしで雑用を言いつけられた。それにスナックでは、飲物も食べ物も見様見真似で作り、運び、食器洗いまで、すべての仕事をやった。

バイトを使うのは、料理人達とフロア・マネージャー、それにスナックのマスターだ。それが、いわゆる体育会系のノリというか、それよりも軍隊のノリで、仕事をミスすると罵声を浴びせられ、時には足蹴りまで飛び出す始末。厨房内は特にひどくて、食器を投げつけられることもしばしば、職人気質の原始的な荒々しい世界だ。

ホールは厨房に比べれば多少紳士的だが、お客さんと接するだけに、別の意味で厳しかった。お客の中には常連がいて、バイトをからかったりするから、甘く見られないようにいつも大声を出せとか、そのスジの人も来るから対応には充分気をつけろとか、手が空いてもヒマそうにしてないで直立していろとか、さんざん脅された。しかし、実際はお客の方が優しくて、一見してそのスジとわかる3人組も、行儀良くビールを飲んでいた。一人だけ、「セルフサービスだと? バカヤロー、ちゃんと運んでこい!」と怒鳴ったオヤジがいたが、そこは支配人がドスのきいた声でなだめ、事なきを得た。結局、客とのトラブルはなかった。

仕事は朝6時集合で、バイトの学生達にすれば、5:40頃の起床なんて、真夜中のようなもので、これが最も辛かったようだ。早起きの僕が、学生みんなを起こす役割を自然に負っていた。ある朝など、一人で4時に起きてしまい、退屈なので厨房へ行って皿洗いをしていたら、なぜかそこへマネージャーが来て、「おー、早起きだなー」と感心していた。

僕はもともとタフなのか、驚くほど体調がよく、早寝早起きで、翌日にも疲れは残らなかった。 自分でも不思議だった。でも、精神的には疲れた。労働条件の食い違いや、浴びせられる屈辱的 な言葉を思うと、すぐにでも職場放棄したくなったが、なんせそこは海の上だし、自分で帰りの乗船料を支払う余裕もない。それを計算してか、アルバイト達はとにかくヒドい扱いだった。マネージャーなどは、「船の上ではアルバイト要員は奴隷だ」なんてうそぶいていた。

仕事は辛かったし、キツかったが、それでも救いは小笠原の父島に停泊中の自由時間だ。差し引いて考えても、このバイト航海には充分満足している。マスターは、このまえの5月の連休にここでアルバイトをやって、そのまま正社員になったという経歴だ。彼は何よりもサーフィンが好きで、いくら仕事がキツくて給料が安くてもやっていけるのは、やはり小笠原での波乗りを心から愛しているからだろう。彼はフリーター時代に、フードサービスのバイトを沢山経験しているが、ここのバイトは特にキツかったそうで、これに耐えられればどこへ行ってもやっていけるそうである。

労働条件は、事前の説明と大いに違っていた。1日の実働時間は8時間の筈が、航海中は約13時間だったし、停泊中でもしっかり8時間は拘束された。もちろん時間外の給料も出ない。寝るところも、2段ベッドという話だったのに、実際は7人が狭いタコ部屋で雑魚寝状態で、毛布一枚しか与えられず、固いカーペットで寝心地は最悪だった。「オイオイ話が違うじゃないかー!」と思っても、とても言い出せる雰囲気ではない。

仕事の内容のことで怒鳴られたり、キツかったりしても仕方ないことだが、この労働契約違反はどう考えても納得が行かない。バイトとして叱られる程度を逸して、人間性にまで屈辱的な誹謗をされるのも耐えられない。それに小笠原の自然は十分満喫できた。僕は2航海の約束を破棄して、この1航海を終えて船を後にした。

まったく理不尽な話だが、反抗して下手に怒らせると、「船降りろ」とか「バイト代やらねーぞ」なんて言われ兼ねないので、お金をかせぐつもりの学生達は、おとなしくしているしかなかった。「小笠原へ行けただけでもラッキー!」という考えだったので、マネージャーやマスターの非礼な罵倒に耐えかねて、合計3回ほど喧嘩をしてしまった。そのうち1回はマネージャーに「俺が悪かった」と謝らせたので、その時は爽快だった。

しかしその後、マネージャーとマスターは、何かと仕事にケチつけたり嫌味を言ったり、明らかに不愉快な態度をとる。そうなるとこっちもますます腹が立って、握りこぶしが腰まで上がったことは多数、コップを床にたたきつけて立ち去ろうと何度思ったことか。あんなに怒ったのは4年ぶりだ。

バイト仲間

バイト仲間は、19才〜22才までの大学生、秀峰以外に単独でバイトに来たヤツは、あと1人だった。みんな思ったよりおとなしくて、3人組は妙にベタベタつるんでいた。こういうアルバイトだから、みんなマリンスポーツ大好きな奴らだった。2人はスキューバ、2人はウインドサーフィン、1人はフィッシング目的で来ていた。

バイト仲間とは、一日中一緒にいるので、けっこう仲良くなれた。この年で(当時26歳)、学生に混じって合宿しているような気分で、自分も若帰ったようだった。学生たちは最年長の僕を「お父さん」と呼んだ。僕がときどき世代の違う話題を出すと、「お父さん、そんな話したって知らないですよー」なんて言われてしまった。

 

父島での夜遊び

単独のバイト学生は、いわゆるナンパ野郎で、「他の奴らはノリが悪いから、松山さん二人でナンパに行きましょうよ」なんて言い出した。二人で父島の夜の繁華街をウロウロした。ナンパ経験のないボクは、そいつからナンパ法のレッスンを受けたものの、自分はどうせ女の子に声をかけられる度胸なんかないという認識のとおり、「いい子いないなー」なんて言い訳がましくボヤきながら、プカプカ煙草ばかり吸っていた。もちろん成果はナシだった。

秀峰がナンパを諦めて煙草を吸っているところへ、マスターがやってきて、「なにをくつろいでるんですか、みんなで飲みに行きましょうよ」と言い出して、バイト学生6人集めてバーへ入った。マスターは店のお姉さんと仲良しで、メニューにない「小笠原スペシャル」というカクテルを注文して作ってもらった。レシピは、梅酒とソーダとラムとウオッカという無茶苦茶なもので、「これがウマいんだ」なんて言って飲んでいたけど、どうしてもタダの梅酒の味にしか思えない。「このカクテルの名前は、どういう由来?」って聞いたら、「あ、これ俺が考えて名前つけたんだ」なんて言っている。まったく陽気な奴だった。

学生達はほとんど酒を飲まずに、料理ばかり食っている。「俺が学生の頃はなー、新歓コンパ のイッキ合戦がすごかったぞー」と言うと、「お父さんとは世代が違うんですよ、今の学生はそんな飲み方しないんですよ」と言っていた。

マスターは同世代なので、「つまんねえ連中だなー、お父さん、我々だけでグイグイ飲みましょう」ってことで、「小笠原スペシャル」を中心にけっこう飲んだ。最後にマスターが「シメはこれですよ」と「アイスクリームのラム酒がけ」を注文した。これがけっこううまくて、みんなおかわりして2皿ペロリと食った。マスターは4皿も食った。

店を出た後のことはあまり憶えてないが、みんなまっすぐ船に戻ってバッタリと寝たそうである。翌朝目が覚めると、明らかに酒が残っている。これは大変だと思ったが、気合いでなんとか仕事はこなせた。

 

お客さんたち

レストランの客は、ほとんどが海水浴目的の家族連れという感じだった。次いで、スキューバ軍団やカップルだった。よくスナックに来ていた白人が、食事時間にレストランにやってきて、日本語で「ワタシはヤサイしかたべませーん、なにか作ってきてクダサーイ」と言うので、支配人に伝えると「メニューにあるものしか作れないと言え」とあしらわれたので、白人にそう言うと、「カタイことイワナーイ、あのサラダだけクダサーイ」と言って、サラダ付きのステーキを指さす。その発議も支配人に却下され、かわいそうなので、「ソバはどうですか?」と勧めると、「ソバはスープにカツオが入っていますからダメデース」と言う。なんだこいつ、そんなことまで知ってるのか、と苦笑しつつ、しょうがないから、「サンドイッチのハムなし」というのはどうかと言うと、「それでオーケー」となり、ようやく決着が着いた。翌日、その白人は例によってスナックにやって来た。すると「きのうはアリガトーゴザイマシタ」と礼を言われ、顔を憶えられているのは気分がよいものだと思った。

船は結構揺れるので、お客の中には酔ってしまう人もいる。ある親子連れの男の子が、レストランのテーブルの上に吐いてしまった。そのテーブルの近くには、2人のアルバイトが立っているのに、二人とも知らん顔をしている。しょうがないので、店を横断して駆けつけると、母親が、「さっきから呼んでるのに誰も来ない!」と言って怒っている。なんで俺が怒られなきゃならねーだ!と思ったが、丁寧に謝って吐瀉物を片づけた。母親は次第に怒りを沈め、どうも済みませんでした、と言ってくれた。その家族も翌日来たときに、「夕べはありがとうございました」と顔を憶えていてくれて、いい気分を味わった。これがフード・ビジネスの喜びのひとつかも。

 

変な人たち

往路に50人の団体というのがあった。団体には、一般客とは営業時間をズラして食事をさせるので、次第にどんな団体か判ってくる。その団体はほとんどが子供で、引率らしきの若者が数名いる。その引率の一人は、体中に落書きをして、顔にもペインティングしている。なんじゃこいつは!と一同驚いた。どうやら宗教団体らしいということだ。

小笠原の父島港に着くと、そいつらはさっそく、岸壁でギターを弾きながら歌を歌い出した。歌い終わると、どこで用意したか、みんないっせいに釣り竿を取り出し、釣りを始めた。うーん、ますますわからん集団だ、と頭をひねってしまった。

小笠原は、日本全国の放浪びと(通称ナガレ)が流れついて、住み着いてしまうパターンも多くらしい。実際、船が停泊中に皿洗いを手伝いに来た2人の若者は、ふだんは島内の公園に野宿しているそうで、時折こうしてバイトして、稼いだ金で酒を飲みに行くそうだ。

 

恐ろしい話

入港の時に、真っ黒に日焼けした女の子がやってきて、あちこちで乗組員と親しそうに喋っていた。この子はエリちゃんと呼ばれていて、船乗りのアイドル的存在だそうだ。そういえばコック達がよく、エリちゃんエリちゃんと話題にしていた。狭い島なので、例えば、船員と島の女の人が一夜を共にしたら、翌日には島中の人が知っているそうだ。おそろしい。

おそろしいといえば、本当に恐い話がある。乗船客の中には、航海中に海に飛び込み自殺してしまう奴もいるそうだ。そんなに珍しくないことだそうで、それを見つけた船員も、面倒なので知らんぷりをしてしまうこともあるという。飛び込んだ奴は、船のスクリューでミンチになって魚のエサになるから、それでいいんだそうだ。いきなり水葬なのだ。実におそろしい。

 

バイクで島内一周

自由時間の一日目は、とりあえず島の全体を把握しようと、レンタルバイク(原付)で走り回った。値段も安いし、レンタルサイクルでは坂が多いので疲れるし、バイクがいちばんいいようだ。父島は思ったより小さくて、15〜20分も走れば、島のどこへでも行けてしまう。ガイドブックに載っていて、バイクで行かれる浜はすべて回った。どこも人もまばらで、島で一番有名なビーチでさえ、閑散としたものだった。夏休みのピーク時だというのに。

また、島はそれほど観光地化されてなくて、自然を思う存分堪能できる。それ故に、お店も自動販売機も、島の中心地にしかないので、あちこち回るには水筒と弁当が必需品だ。車道が通じてない、徒歩でしか行けない場所も沢山ある。そういう浜へ行けば、人はほとんどいなくて「浜を独り占め」状態になることもある。

一度、バイクから降りて山に登ったが、見おろす景色はまさに絶景だった。人っ子一人いない浜が連なり、山の尾根づたいに1本だけ登山道が続いている。他に人影もなくて、強くてさわやかな海風に吹かれると、「最高だ」なんて声を出してしまうほどだ。山頂で弁当と飲物を平らげて、バイクにもどり、坂道を全開で下る。照りつける太陽熱も風に冷やされてちょうど心地よく感じられる。車も少ないし、信号も殆どない。走行を楽しんでいると、「え?もう?」というほどすぐに目的地に着いてしまう。この日は結局、釣りを少しと磯遊びを少しやっただけだった。

 

釣り

一番の目的であったが、事前の情報がなくて、たいした道具も持っていかなかった。自由時間に早速釣具屋に行って聞いたら、店のお姉ちゃんが、その道具でもなんとか大丈夫でしょう、というので、仕掛を作ってもらい、オキアミのエサを持って、とにかく適当な磯へ行ってみた。

潮もポイントもまったくテキトーに決めて竿を出すと、すぐに当たりがあった。かなり大きい。でも、バラしてしまった。その後は何度やっても、当たりはあるのにハリス切れでバラしてしまう。1匹だけ魚の姿を見たが、50cm以上はあった。魚種はわからなかった。ガイドブックにあるように、確かに「大物の引き」を味わえたものの、本当に「引き」を味わっただけで、釣り上げることはできなかった。

翌日また釣具屋へ行ってその話をすると、魚体は小さいが、背ビレで糸を切ってしまう魚がいるそうで、そいつがかかると簡単に糸を切られてしまうそうだ。一応、仕掛けを少し太いハリスと大きい針に代え、今度は、島内一の釣りスポットである、その名も「釣浜」という磯へ行った。驚いたことに、他に釣り人がいない。こんなことは首都圏では考えられない。しかも、足元にはウジャウジャ正体不明の魚が泳いでいる。エサを落とすと「池の鯉にエサ状態」で、いろんな魚がピシャピシャ飛び跳ねる。こんな光景は初めてだ。しかも、原色カラフルな奴らだ。

また、磯の岩にはムツゴロウのような魚が沢山へばりついていて、近づくとピョーンとジャンプして海へ飛び込む。岩から岩へ跳ねていく奴もいる。「えー?どうして水中じゃないのにピョコピョコ跳ねまわれるんだろう?」と実に不思議だった。

よく「見えてる魚は釣れない」なんて言われるが、竿を出すと、完全に入れ食い状態で、次々と釣れた。ただ、熱帯魚風のカラフルな魚ばかりで、名前も判らない。しばらくして、おっさん釣り師3人連れがやってきたので、ちょうどそのとき釣れた魚の名前を聞いたら、「それはねー、『オジサン』という魚だよ」と教えてくれた。「おおおおぉ、これがウワサの『オジサン』か!」とびっくり。正式にそういう名前の魚がいるのは知っていたが、こんなところで自分が釣り 上げるとは思わなかった。結局、釣れた熱帯魚たちは、食べられるかどうかも判らないので、みんな写真を撮ってからリリースした。

他に僕が釣った魚は、ベテラン3人連れに聞いてもわからなかった。その3人は、カンパチ狙いだそうで、たまたまこの場所がポイントだそうだ。エサはイカを使っていて、イカの足を少し分けてくれたので、それをエサにしたら、やっぱりよく釣れる。そういえば、港に停泊中の船から「ベーコンをエサにしてマグロが釣れた」という話を思い出した。ここの魚は本当にいとも簡単に釣れてしまうのだ。

 

レスキュー活動

その釣浜で釣りをしているとき、近くで浮き輪で遊んでいた中学生くらいの女の子が、「助けてくださーい!」と叫びだした。そこは、浅瀬から急に水深が30メートルくらいになって潮流も早くなる場所で、地上なら断崖絶壁という地形をしている。その子も浮き輪につかまってはいたが、突然に潮流が早くなって、いくら泳いでも進まなくなってしまっていた。

僕は泳ぎも苦手だし、他に人もいないので一瞬パニックになった。でも、すぐそばに、そそり出た岩があったので、そこへ行き、左手で岩をつかんで右手を伸ばし、なんとかその子の腕をつかんで引き寄せた。そこへ大きい波が来て、二人して岩場に打ち上げられた。女の子は無事だったが、こちらは左手と足に擦りキズができて血が流れた。「名誉の負傷だな」なんて悦に入っていたけど、船での仕事についたときに、左手で皿を持つと痛くて困った。

 

ダイビング

釣浜は、浅瀬の珊瑚礁で、魚種も豊富なので絶好の釣り場となっているが、魚が多いと言うことは、ダイビングしても面白い筈だ。普通、スキューバの連中は、隣の「宮の浜」というところへ行くので、他にダイバーはいない。ほぼ貸し切りだ。僕は水中眼鏡をつけて、シュノーケリングを敢行した。初めてなので、最初は半分溺れながらだったが、すぐに慣れ、水中の模様を楽しんだ。

色とりどりの珊瑚、原色系の魚たち、こんな浅瀬でも雰囲気はまさしく南国の海だ。透明度が高いので、かなり深くなっても海底が見える。それはまるで、空中から山々を見おろしているようで、ちょっと恐くなった。波もおだやかだし、本当にのんびりとユラユラ回遊した。これは、感激の体験だった。もし、深く潜ることができれば、言うことなしだ。無性にスキューバをやりたくなった。バイト学生で、スキューバをやっている奴に聞いても、こんなに綺麗な海は国内では初めてだと言っていた。「水中写るんです」で何枚か写真を撮ったが、けっこうまく撮れていた。もっと沢山撮れば良かった。

平成8年、僕が乗り組んだあの小笠原丸も、老朽化のために新造船に交代した。また、小笠原諸島にも空港ができるらしい。1週間の休みがなければ訪問できなかった小笠原も、これからは簡単に行けるようになるかもしれない。心配なのは、あの手つかずの大自然だ。人が多く集まれば、それだけ余計なものも増えるだろう。でも、あの大自然の光景と、あの1週間の出来事は、僕にとって20代の最高の思い出であることはかわらない。

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